9月27日(金)

午前の部

 街道を歩くPart2「北八尾街道の歴史」

 大阪高齢者大学校

 陸奥 賢 講師

 

午前中は東成区民センターの会議室を借りて、午後から歩く北八尾街道の歴史や点在する場所のエピソードなど分かりやすく説明してもらった。

 

 言語学の天才と言われた「契沖さん」のこと、落語家や漫才師の芸人集落があった場所、映画「ET」で使われた自転車を作ったお店、また平野川の改修工事の仕事を求めて済州島から生野区に移り住んだ人が「代書屋」を利用し、繁昌したことなど初めて聞く話しを教えてもらいました。

午後の部

 まち歩き「今里~北八尾街道を歩く」

 大阪高齢者大学校

 陸奥 賢 講師

 

 東成区民センター(元今里車庫前) 4代目桂米團治顕彰碑 暗峠奈良街道 妙法寺 契沖阿闍梨(けいちゅうあじゃり)墓所 楽語荘(片江・芸人集落) クワハラバイクワークス

 

4代目桂米團治 15歳で3代目桂米團治に入門し、昭和18年に4代目桂米團治を襲名した。上方落語衰退期に5代目笑福亭松鶴が主宰した「楽語荘」同人となり、落語の保存と復興に力を注ぐかたわら、この地に「中濱代書事務所」を開業し、代書人の体験をもとに落語「代書」を書きおろした。のちに弟子の3代目桂米朝が笑いを加え、3代目桂春團治や2代目桂枝雀らに継がれて昭和の傑作として人気の高い古典となった。門人の桂米朝をはじめ後進の指導にも尽力し、戦前から戦後、上方落語の苦難の時期を支えた功労者であった。(大阪市東成区のホームページ 4代目桂米團治顕彰碑の解説より抜粋)

契沖 契沖は学徳の高い真言宗の僧侶であり、かつ万葉集を中心とする古典の注釈並びに歴史的仮名遣の研究において画期的な業績を残した古典学者である。尼崎に生まれ、11歳のとき今里の妙法寺で出家、高野山で修行、各地を流浪した。代表的著作「万葉代匠記(まんようだいしょうき)は水戸光圀の依頼で万葉集を注釈したものである。(大阪府立図書館、大阪市のホームページ 契沖と円珠庵の解説より抜粋)

楽語荘 昭和のはじめ、東成区は上方落語や漫才などの大衆演芸と縁が深く、片江地域を中心に多くの芸人さんが住まい、活動の拠点にもなっていた。当時、片江地域に居をおいていた5代目笑福亭松鶴は自宅を「楽語荘」と名付け、同人を募り、上方落語の保存と新人落語家の育成に尽力した。(大阪市東成区のホームページ 芸人の町・片江の解説より抜粋)