5月31日(金)

午前の部

 街道を歩くPart1「河内街道と十三街道」

  講師:大阪府高齢者大学校 

  陸奥 賢 氏

 

午前中は若江岩田駅前市民プラザ(希来里ビル)の会議室を借りて、午後から歩く若江岩田近隣、特に若江地区の歴史や地域のことについて地図を見ながら分かりやすく説明してもらいました。

  若江岩田一帯は戦国時代最後の豊臣・徳川の戦いで激戦地となり、大阪夏の陣の「若江の戦い」では美男子で名高い木村重成が討ち死にしたこと。河内キリシタンのこと。また、若江城址や薬師寺など当時の遺跡が数多く残っていることなど、午後のまち歩きが楽しみになる話しを聞きました。

午後の部

 「若江岩田近隣を歩く」

  講師:大阪府高齢者大学校

  陸奥 賢 氏

 

 若江岩田駅 飯嶋三郎右衛門墓 河内街道 忠霊塔 若江本町北公園(南蛮寺) 信行寺 薬師寺 美女堂氏(びんどうし)遺愛碑 若江城址碑 蓮城寺→ 若江鏡神社 十三街道 木村重成墓(木村公園) 山口重信墓→ 岩田本通り商店街(解散)

 

薬師寺 境内に大きなイチョウの木があり、本尊の薬師如来は乳もらいの薬師とも呼ばれ、産婦がお参りすると乳がよくでるといわれている。摂津源氏で知られる多田満仲の四男美女丸がこの地に開いたと伝えられている。

若江の忠霊塔 昭和18年に中河内郡若江村の地元有志数名が土地を提供し、建設したもの。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日華事変、太平洋戦争に及ぶ戦没者の忠霊塔である。

若江城址碑 この付近を中心として南北400m、東西300mぐらいの範囲が若江城址で、南北朝時代に河内に進出し、河内守護職になった畠山氏によって築城された。天正元年に天下統一をめざす織田信長は、足利氏最後の将軍義昭を追って若江城を攻めている。

蓮城寺 日蓮宗の寺院で正保元年に焼失し、元禄6年に再建された。木村重成の位牌がまつられている。

十三街道道しるべ 鏡神社の鳥居前の道を南に行くと三叉路の角に道しるべが二基ある。一基は生駒山の十三峠(八尾市)を越えて、竜田・長谷寺へ通じる十三街道の道しるべである。

木村重成墓 木村重成は、元和元年大阪夏の陣若江の戦いで討死した豊臣方の武将である。

(以上、東大阪観光協会発行の東大阪いっとこMAPより抜粋)