11月22日(金)

午前の部

 「八尾の能楽」

  講師:観世流 能楽師 

  山中 雅志 氏

 

 能楽は明治維新前は狂言も含めて猿楽と呼ばれていたが、猿楽に先行する芸能として雅楽、伎楽、神楽、声明があった。これらの芸能の下に、今様、催馬楽、風流、白拍子、田楽、猿楽など様々な芸能が生まれたが、猿楽の直接の源流となった芸能は散楽である。散楽は唐より伝来したが、もともとは朝廷の正楽に対する雑芸を意味していた。曲芸、軽業、幻術、奇術、人形回しなどが含まれ、楽器の演奏の下に演じられていた。平安時代には笑いの芸能に中心が移り発音も「さるがく」と変わり、文字も猿楽と書かれるようになった。

能とは歌舞劇のことを意味するが、鎌倉時代半ば以降には田楽や猿楽が劇的要素を取り入れ、田楽能、猿楽能として人気を博した。

能は足利義満や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら時の権力者に愛好され保護された。

能楽ワキ方、太鼓方の「高安流」は高安地域にある玉祖神社が発祥の地であると言われている。(能では主役のことをシテという。そのシテと応対しシテの演技を引出す役をワキと呼ぶ。楽器は笛、小鼓、大鼓と曲によって太鼓が用いられる。)

能楽の歴史や流派の説明のあと、面(おもて)や扇の種類を実際に見せていただき、その意味について教えてもらいました。最後に謡曲の「高砂」をみんなで唄って終わりました。

(当日の「八尾と能」の説明資料等から抜粋)


午後の部

 「東高野街道から恩智城址と古民家を訪ねる」

 講師:八尾市観光ボランティアガイドの会

 

 信貴山口駅から今も残る戦争遺跡の掩体壕、桜の名所でもある恩智城址、古民家を再生し地域の憩いの場として活用されている「茶吉庵」などを訪ね、恩智駅まで歩きました。

 

 信貴山口駅 権現社 黒谷高札場 垣内共同墓地 善光寺 垣内掩体壕 恩智街道・東高野街道 目ナシ地蔵 恩智神社 恩智城址  恩智左近墓 茶吉庵 天王の森 恩智駅

 

黒谷高札場 黒谷の旧庄屋坂本家の門前にある。高札場とは江戸時代に幕府や領主からのお達しやお触書を板に写した掲示板で、高い所に掲げて示した場所。

垣内掩体壕 掩体壕とは軍用飛行機を隠すための格納庫で垣内に大型軍用機を収容出来た一基が残されている。現在3分の1が現存している。太平洋戦争時に造られた鉄筋コンクリート製で全国的に有名な戦争遺跡である。

恩智城址 南北朝時代前期頃、恩智の豪族恩智左近満一が築城と伝わり、現在の城址は二の丸に当たるとも言われている。正平3年四条畷の戦いにて楠木正行戦死し、恩智城も落城する。

不断山善光寺 融通念仏宗大念仏寺末で、一光三尊の阿弥陀如来を本尊とする。開基は信濃の本田善光とする。元善光寺と言われ、春と秋にお通夜行事が行われ、本尊の御開帳が行われる。

茶吉庵(古民家 萩原家住宅) 萩原家は江戸時代に茶屋吉兵衛という屋号で河内木綿の問屋を営む。明治時代初めに郵便局を開局・電話交換も実施する。平成31年に国登録有形文化財に指定。平成29年に築250年の古民家を再生し、地域の憩いの場・文化的拠点として活用されている。

(以上、八尾市観光ボランティアガイドの会の資料から抜粋)