午前の部
「高安山麓の自然」
斎藤 慌三 氏
八尾市の東、高安山の自然林で春・夏・秋・冬の四季を感じる。高安山山麓の地形は水はけがよく、田んぼが出来ないが、花木や菊などの栽培に適している。気温と水が植物に大きな影響を与え、植物の種類を変える。
日本と同じ緯度(30度)は北半球、南半球ともに乾燥・砂漠地帯にあり木がない。日本は雨が多く水が豊富で、世界的にみると自然環境は非常に恵まれている。生駒山系にはどんな植物があるのか、常緑樹、落葉樹、常緑樹と落葉樹の合体木、世界で1本の珍木もあり430種類もある。
今後の課題として、産業廃棄物による汚染、竹の猛威がある。山は手入れが大切で、山に木があると少しずつ水が出て、健全な山は公益的機能が高い。もし、植物が絶滅したら人間も含めて世界中の動物が死滅する。日本の森は素晴らしく、自然環境が文化をつくる。(講演資料から要旨を抜粋)
午後の部
「ブータン王国のダジョー 西岡 京治 氏」
西岡京治さんは昭和8年京城(現ソウル)で生まれ、帰国後、お父さんの実家のある八尾で暮らされた。八尾高校、大阪府立大学(現:大阪公立大学)農学部・大学院に進み、昭和33年西北ネパール学術調査隊に参加された。更に昭和37年ネパール学術調査隊に副隊長として参加された。その前年、妻里子さんと結婚されている。西岡夫妻はブータンに強い意欲をもやして、農業技術者としてブータンに迎えられた。西岡氏の性格は、ブータンで多くの人たちから深い信頼を勝ち得た。里子夫人も世界で一番といわれる秘境の中で、積極的に住民とその文化に触れていき、日本人の中にもこういう女性が現れたかと感心された。
その後、昭和39年に農業指導者として夫人とともに赴任し、研修生の少年3人と試験農場をスタートさせた。2年の任期が延長されて農場を開設し、日本政府から農業機械類や種子の援助を受けた。
ブータン政府の絶対的といえる支持・信頼があって、良いことばかりではなかったが、村人は素朴ながらも歓待してくれて、きびきびと活動してくれた。農業技術の進歩に伴いめざましく改善されて、野菜に関しては種類も豊富で、おいしい野菜が市場に出回るようになった。西岡氏の28年間の農業指導の貢献が大きく、ブータン国王から「ダジョー」の称号がおくられた。平成4年に西岡氏はブータンで死去され、国葬が執り行われた。(当日の説明資料から抜粋)
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